株式投資の参考のために色々な人のブログを読んでいます。そして最近、その中の一つである、橘玲氏のブログ記事の内容について、ちょっと違和感を感じたことがあったので書いてみたいと思います。

橘玲 公式サイト
金融業界の不都合な真実をすべてのひとに
http://www.tachibana-akira.com/2014/05/6420


ここからが引用




プロとは、才能と努力によって素人には到達できない高みにまで達したひとのことだ。1カ月前に将棋を習い始めた素人が羽生善治三冠に勝つことはぜったいににあり得ない。なぜこういい切れるかというと、プロと素人のちからの差はとてつもなく大きいからだ。

それに対して宝くじにプロがいないのは、それが確率のゲームだからだ。過去に何度も当たりくじの出た売り場で買うひとは多いが、これはたんにたくさんのくじを売っているだけで統計学的にはなんの根拠もない。純粋な確率のゲームに必勝法はなく、そこにプロの居場所はない。

それでは、“金融のプロ”とはいったい何だろう?

(中略)

 それに対して、株式投資の基礎知識がまったくないこの若者の運用利回りは年率900%(!)だ。個人投資家とファンドマネージャーでは条件が異なるとはいうものの、運用成績がこれほど桁ちがいだとどんな言い訳も通用しない。金融の世界では、ど素人が名人や三冠を完膚なきまでに叩きのめすことができるのだ。

この単純な事実は、株式投資が将棋よりも宝くじにずっと近いことを教えてくれる。それは必勝法のない確率のゲーム、すなわちギャンブルなのだ。

 

引用ここまで。


正直、個人的には別に株式投資が投資がギャンブルかどうかなんて、どっちでもいいと思っている(不確実性に対して何かを賭けないといけないっていう意味では、ビジネスも、結婚も、なんなら人生すべてがギャンブルだ)。

だけど、株式投資を語るときに将棋を引き合いに出して、プロが必ず勝てるわけではない、必勝法がない、だからギャンブルだっていうのは、ちょっと論理的に飛躍がありすぎる気がして違和感を覚えたのだ。


というのも、株式投資は将棋に比べて、圧倒的に自由と変化がある。
必ずしもプロが勝てない理由も、必勝法がないのも、その圧倒的な自由と変化があるからに他ならない。


せっかくなので、株式投資と将棋とを比較して、株式投資の自由と変化の多さを表現してみたい。


まず、将棋は必ず1対1で対戦する競技であるが、 株式投資は対戦相手は世界中に広がっている。
証券取引所という盤の上で、世界中の人が他人の王様(お金)を取ろうと戦っているのが株式投資だ。
つまり敵は正面に座っているだけじゃなくて、後ろから切りかかられることもあれば、突然前から味方がやってくることだってありえる。それだけ株式投資はカオスだ。 
 

また、駒の種類は将棋では8種類(歩、香、桂、銀、金、角、飛、王)しかないが、株式市場に上場している会社の数は日本だけでも3千社を超えており、参加者はそれらを数の制限なく自由に保有したり手放したりできる。


そして、将棋で歩は、ト金にはなれても飛車にはなれないし、飛車が歩になることはない。でも、上場企業は歩のような小さな企業がいきなり業界を自由に支配する飛車になることもあれば、逆に飛車だと思って投資した企業がいつの間にか歩になってたってこともあり得る。



簡単に違いをあげてみただけでも、将棋と株式投資では変化の度合いも、参加者の自由度もこれだけ違う。


そして、基本的にルール変更のない将棋ですら、常に新しい手法が開発されている。


であれば、それ以上に変化と自由がある株式投資の世界においては、定石は通用しないし、過去の知識の蓄積や経験が有利に働くとは限らないのは自明ではないだろうか?
それこそがプロが必ずしも勝てない理由であり、必勝法がない理由である。


逆に言うと、だからこそ投資家みんなにチャンスがあり、新しい手法を見つけた者には多くのお金がもたらされる。


それこそが、株式投資の醍醐味だと一個人投資家としては思っています。


っと、ここまで書いておいて恐縮なのですが、引用させて頂いた橘玲氏のブログに出てきた本を自分は読んでいません。なので、上記ブログだけを読んで何かとんでもない勘違いをしていたらごめんなさい。



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